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ジョージ・ハリスン生誕80周年記念 劇場特別版公開

ジョージ・ハリスンの音楽と人生を称え、盟友エリック・クラプトンが開催した歴史的一夜。
感動と慈愛あふれる伝説のトリビュート・コンサート映画が
ジョージ生誕80周年の今年、初めて劇場の大スクリーンに蘇る!
東芝音楽工業時代にビートルズやジョージ・ハリスン作品の担当ディレクターを務められた水原健二氏に、本作のレビューを特別寄稿していただきました。

特別寄稿 

水原健二(元東芝音楽工業・ビートルズ担当ディレクター)

​『コンサート・フォー・ジョージ』

 ジョージ・ハリスンとは40年来の盟友、エリック・クラプトンが音楽監督と主演を務めたことで、この追悼コンサートは“歴史的一夜”となった。ジョージの作品――壊れそうな繊細さと優しさと、どこか切なさを湛えた、まさにジョージにしか描くことのできない音楽世界――と人間ジョージへのオマージュ、そして深い鎮魂の思いを、このにぎやかで盛大なコンサートから受け取らない者はいないだろう。ステージに登場する人物たちは、亡き友、亡き家族への愛を胸に、各々の個性とその存在感を発揮しながら演奏する。それこそがジョージへの追悼であり、トリビュート・コンサートの眼目だった。

 ポール・マッカートニーは、「サムシング」「ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス」で、ヴォーカルとギターをクラプトンのリードに委ね、クラプトンの魅力を際立たせた。脇役に徹したポールだが、その存在はやはり圧倒的だ。「フォー・ユー・ブルー」「オール・シングス・マスト・パス」で歌う姿やジョージの息子ダニーへ向ける眼差しからは、風格と優しさが伝わってくる。貫禄とともに往年のチャーミングさを失うことのないリンゴも、ジョージとの合作「想い出のフォトグラフ」と「ハニー・ドント」でステージを盛り上げる。「イズント・イット・ア・ピティ」への強い思い入れからクラプトンが託したのがビリー・プレストン。ビリーのヴォーカルはクラプトンのギターと一体となって情感豊かに歌い上げる。そしてモンティ・パイソンが大爆笑を誘って登場。興奮の坩堝と化したステージは果てなく続くかのようだ。コンサートで歌われたジョージの代表作のほとんどは、ビートルズ時代からソロまで、日本発売のレコードは私が現役時代に手掛けさせてもらったもので、思い出深い。

 私が初めてジョージ・ハリスンに会ったのは1971年9月。ジョン・レノンの新作「イマジン」のプロモーションのために、ジョンとヨーコに呼ばれて同宿していたニューヨークのセント・レジス・ホテルでのことだった。それはジョージが主催し、4万人に及ぶ観衆が詰めかけたマディソン・スクエア・ガーデンでの「バングラデシュ難民救済コンサート」が終わって1カ月余り後、ジョン・レノンが引き合わせてくれた幸運のひと時だった。ジョージと一緒にボブ・ディランも姿を見せた。

 

 バングラデシュはパキスタンとの分離独立戦争に勝利し、1971年に独立を果たしたが、多くの難民を生むことになった。当時アメリカではベトナム反戦運動のさなか。69年には「愛と平和の祭典」を掲げてウッドストック・フェスティバルが開催されている。ジョージはそうした反戦・平和運動の大きな潮流のただ中で、バングラデシュ難民への救済メッセージを世界に発信、ロック史上初のチャリティー・コンサートを成し遂げたのだった。

 

 ニューヨークのホテルの一室に現れたジョージはしかし、物静かで、多くを語らず、控えめだった。世俗から距離を保つ、内省の人――感激と緊張でいっぱいだった私の心に、ジョージのそんなプロフィールが刻まれた。

 

 「バングラデシュ難民救済コンサート」から30年の後、ジョージ・ハリスン逝去。58歳だった。追悼コンサートには、クラプトンはじめ、リンゴ、ラビ・シャンカール、ビリー・プレストン、ジム・ケルトナー、クラウス・フォアマンらかつて「難民救済コンサート」に出演した同志たちの多くが一堂に会した。

ジョージへの敬意と惜別をこめて開催されたコンサートは、「夢で逢いましょう」でフィナーレ。トリを務めたのはジョー・ブラウン。ウクレレと歌が残す深く長い余韻のなかで、奇跡のステージは幕を下ろした。

2023年7月10日

水原健二(元東芝音楽工業・ビートルズ担当ディレクター)

水原健二プロフィール:

1943年東京都生まれ。1967年慶応義塾大学卒業後、東芝音楽工業(のちの東芝EMI、東芝EMIミュージック・ジャパン)入社。同社を退職後、時事通信社・出版局編集委員を経て、国立大学・上越教育大学学長特別補佐。東芝音工勤務時代にビートルズ担当ディレクターとして、「サージェント・ぺパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」「マジカル・ミステリー・ツアー」「イエロー・サブマリン」「ザ・ビートルズ(ホワイト・アルバム)」「レット・イット・ビー」「アビイ・ロード」のアルバム制作と宣伝を手掛ける。ビートルズ解散後は、ジョン・レノンの「ジョンの魂」「イマジン」、ジョージ・ハリスンの「オール・シングス・マスト・パス」、ポール・マッカートニーの「ウイングス・ワイルド・ライフ」、リンゴ・スターの「センチメンタル・ジャーニー」などを担当した。1971年に東京とニューヨークで行ったジョンとヨーコへの特別インタビューが2枚のCDに残されている。

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