

映画『ジャイアント』
タブーに踏み込む対話劇
児童文学作家ロアルド・ダールのもう一つの顔
Text by村上祥子
出演者の安全が不安視される芝居
アメリカの名優ジョン・リスゴーが『ジャイアント』で英国の児童文学作家ロアルド・ダール役を演じることになった時、一部の友人たちはリスゴーの身の安全を案じたという。世界中の子どもたちに愛される文学作品を生み出した人物を演じることが、なぜ危険だと捉えられたのだろう。
「チョコレート工場の秘密」や「オ・ヤサシ巨人BFG」、「マチルダはちいさな大天才」。英国の多くの子どもたちは、ダールの本とともに成長する。英国におけるダール人気は、まさに“国民的”だ。一方、ダール本人は1983年に反ユダヤ主義的な発言で糾弾され、騒動は死後まで続いた。『ジャイアント』はこの発言に着目し、人気児童文学作家ダールの別の一面に焦点を当てている。
作者のマーク・ローゼンブラットは演出家として30年近くのキャリアがあるが、本作が劇作家としての第一作目になる。本作のアイデアを思いつき、ニコラス・ハイトナーに助言を求めたところ、自分で書くように勧められて執筆を決意。ハイトナーは自ら演出を買って出て、旧知の仲のリスゴーにダール役を打診した。なんとも贅沢な“デビュー”だ。ロンドンのロイヤル・コート劇場での上演が決まったのは2023年10月5日。その2日後に、イスラム組織ハマスによるイスラエル攻撃が行われた。イスラエルとパレスチナの問題を取り上げる本作は元々、物議を醸す可能性を秘めてはいたが、一日にして世界が一変。上演すら危ぶまれる事態となったのだ。それでも予定通り24年9月に開幕。翌25年にウエストエンド、26年にはNYのブロードウェイへトランスファーした。ローレンス・オリヴィエ賞では演劇部門の作品賞、主演男優賞(ジョン・リスゴー)、助演男優賞(エリオット・リーヴィー)の3冠を達成し、トニー賞でも同部門の主演男優賞(ジョン・リスゴー)を獲得。英米両国で高評価を得た。
波乱万丈なダールの人生
ダールの児童文学作品には、大人が子ども向けの本に求めがちな道徳的な押し付けがましさはない。毒があり、グロテスクな描写が散りばめられていて、いじめや虐待も盛り込まれ、必ずしも分かりやすいハッピーエンドで終わるわけでもない。だが子どもの純真さや残酷さ、探求心や冒険心を丸ごと詰め込んだような物語は、それゆえに子どもたちの心をつかんで離さない。
ダールの人生は、それ自体が物語のごとく波乱万丈だ。ノルウェー移民の両親の下、ウェールズに生まれたダールは、体罰が横行する厳格なパブリック・スクールで教育を受けた後、シェル石油会社に就職し、東アフリカで暮らすようになる。第二次世界大戦中は空軍パイロットとして活躍するも不時着時に大怪我を負い、一旦は復帰するものの帰国。駐米英国大使館付きの空軍武官補としてワシントンD.C.に赴き、諜報活動にも携わった。パイロット時代の体験記が世に認められて戦後は作家として活動。大人向けの短編から始まり、やがて児童文学を書くようになる。
ダールの家庭生活もまた、紆余曲折の連続だった。姉の一人と父を幼少期に失い、俳優だった最初の妻との間に5人の子をもうけるも、長男が生後4カ月で交通事故に遭い水頭症に。長女は7歳の時に、はしかによる合併症で亡くなった。妻は5人目を妊娠中に脳動脈瘤が破裂。ダールの献身的な看病もあり俳優復帰するまでに回復したがその後、離婚に至った。そして2度目に結婚したのが、本作では婚約者だったフェリシティ(リシー)・クロスランドである。
権威主義に反発し、冒険心を持ち続け、子どもたちに愛情を注ぐ。生来の気質に加え、人生に押し寄せた様々な出来事がいくつもの襞をつくり出し、気難しくもユーモアがあり、子どもっぽさ(childish)と子どもらしさ(childlike)が同居するダールの複雑な人格を形成したのだろう。
作家と作品は同一視されるべきか
『ジャイアント』はダールの実際の発言を基にしてはいるが、フィクションとノンフィクションが混在している。ダールと婚約者のリシー、英国の出版社の編集者で友人のトム・マシュラー、そしてウォーリー・ソーンダーズ(「オ・ヤサシ巨人BFG」が生まれるきっかけとなった人)は実在の人物だが、アメリカの出版社の営業ディレクターであるジェシー・ストーンは架空の人物だ。異なる背景を持つ英米のユダヤ系の人物を配して、それぞれの見解を語らせる。そしてストーンを子どものいる女性に設定し、ダールのミソジニーとともに過去のトラウマをも浮かび上がらせた。ローゼンブラットはユダヤ系英国人だが、ダールを一方的に断罪することを避け、バランスをとったことがうかがえる。
パレスチナ支援、ユダヤ人のステレオタイプ化、イスラエル批判、反ユダヤ主義が複雑に絡み合う会話は次第に過熱して熾烈な舌戦となり、傲慢だがチャーミングだったダールは牙をむく。本音が表面化したのか、それとも売り言葉に買い言葉で帰還不能点を越えてしまったのか。
作品をつくり出す人間と、つくり出された作品は同一視されるべきなのか。ユダヤ系の人々はダールの発言によって、自分の子どもたちにダールの本を読ませてもいいのかというジレンマに直面したという。事実として言えるのは、作者のローゼンブラットは自分の子どもにダールの本を読み聞かせていると語っており、劇中にも登場する実在の記者マイケル・コーレン(コーレンの父親はユダヤ人)は公演を観たうえで、「ダールをキャンセルしようと働きかけるのは間違いだ」と主張する寄稿文を書いた、ということだ。そして現在でも本は出版され続けている。ダール本人は最後まで公に謝罪することはなく、1990年に死去。ダールの遺族がホームページ上に謝罪文を掲載したのは、それから実に30年が経過した2020年のことだった。2023年には出版社のパフィン・ブックスがダール作品の登場人物の容姿やジェンダーに関する記述の一部を、今の読者に不快感を与える可能性があるとして修正。しかし批判が殺到し、原文のままの版も出版継続されることになった。
『ジャイアント』はタブーに切り込み、いくつもの問題を提起しつつも、明確な答えを出してはいない。ただ、自分はどう向き合うのか、建設的に対話するにはどうすればよいのか、考えるきっかけをくれている。
筆者プロフィール
村上祥子(むらかみ・しょうこ)
十数年にわたり、ロンドンを拠点にする在英邦人向け無料情報誌に編集者として勤務。編集長を経て退社した後は、フリーの編集者、ライターとして活動。現在は東京で演劇情報誌やパンフレットへの寄稿、ガイドブックの編集、翻訳などに携わる。「ハッピーハッピー ロンドン」(双葉社)共著。
◾️参考文献
「ロアルド・ダール」(現代英米児童文学評伝叢書9)
富田泰子著、KTC中央出版、2003年
「ダールさんってどんな人?」(ロアルド・ダール コレクション 別巻1)
クリス・ポーリング著、スティーヴン・ガルビス絵、灰島かり訳、評論社、2007年
https://www.newyorker.com/magazine/2026/03/16/mark-rosenblatt-profile-theatre
https://www.standard.co.uk/comment/roald-dahl-antisemitism-racism-giants-play-london-b1188437.html
https://www.theguardian.com/books/2020/dec/06/roald-dahl-family-apologises-for-his-antisemitism